素材を楽しむ習慣が、食卓を豊かにする。

こんにちは、店主です。まず、ちょっとこの間経験したことをお話しさせてください。


「おいしい野菜の食べ方なんですか!?」と聞かれると、私は大体「生のままか、じっくり火を通して塩かけて食べるのが結局美味しいよね。」と返します。


おいしい野菜を楽しむのに、そもそも調理なんていらないじゃないかって思っているのですが、「店主に聞いても全然料理名で返ってこないんですけど(笑)」ってスタッフにも笑われています。笑


そもそも料理って、"食べられないもの・そのまま食べてもおいしくないものをどうおいしく食べるか"という動機から始まっているんじゃないかと思うのです。だから素材がおいしけりゃそんまま食べりゃよくね?と思うのです。(調理する過程を楽しんだり、ちょっと凝った料理が食べたい時もあるでしょうが、今はそういう話をしているのではなくです。)


この感覚を共有するのって実は結構難しいんだなと最近気づきました。正直うちのスタッフの中にも、この感覚を持っている人と持っていない人がいます。(もちろんこの感覚がない人も野菜を存分に楽しんでいるのですが。)


ある日、うちのデザインを担当してくれているデザイナーと打ち合わせをしていた時にこの話をしたことがあります。すると数日後、その人は近所のおばあちゃんからこかぶをもらう機会があり、恐る恐る生のまま塩を振ってかじったそうです。


すると、「ゆりえ(店主)が言ってることはこういうことか!」となったそうで。今までは料理しないといけないとばかりに思っていたけれど、実際そんな必要がないぐらいおいしかったと、感想を述べてくれました。


本屋にいけば選びきれないほどの料理本があり、SNSを除けば簡単レシピや時短料理の動画が溢れている。料理ができたほうが良い妻だ(今の時代は夫もか)、なんて概念もあり、「料理ができる=凝った料理がぱぱっと作れる」みたいなイメージが助長されているのではないかと思います。


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私はこの仕事をしている中で定期的にぶつかる問いがあります。それは「豊かな食」とは何か。「豊かさ」とは何か。という問いです。


凝った料理を作っておいしく食べるというのももちろん1つの食のあり方ですが、その背景に料理をする人が毎日大変な思いをしたり「ああ今日も料理作らないと...」みたいなストレスに押しつぶされるようであればそれは結果的に豊かな食ではないよなと思うのです。


結局はその人自身が幸せ(≒豊か)に生きられる生活を描いた時に、どんな食を求めるかだと思うのです。時にはちょっと手のかかる料理を作り、作る過程を楽しんだり、おいしいねってみんなで食べたらいい。でも、今の時代の多忙すぎる日本人の食卓を支えるには、前述のような素材を活かしてぱぱっと作れる料理があってもいいのになと思うのです。


それは手抜きなんかじゃないのにな〜って思うんですけどね。まとまりない文章で恐縮ですが(ブログはこんな感じで書いていきたい)、誰かの何かの考えるきっかけになれば嬉しいです。


竹下